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流通改善で
日本中の困っている薬局を笑顔に
「価格への納得のいく説明が不透明感を消し去り、信頼に繋がった」
「ちかくにいる。ちからになる。」第1回

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「ちかくにいる。ちからになる。」第1回

株式会社メディカルシステムネットワーク

株式会社メディカルシステムネットワーク

代表取締役社長田尻稲雄

「ちかくにいる。ちからになる。」 この連載は、“患者の方々や地域、さらには医療人を、いちばんちかくで支えるちからになりたい。”という想いから始まった企画です。地域医療の未来を創るさまざまな人物が、それぞれの役割や視点から想いを語っていきます。 初回は、薬局経営をサポートする株式会社メディカルシステムネットワーク代表取締役の田尻氏が登場。「医薬品ネットワーク」は1999年にスタートし、今では47都道府県、5,000件以上の薬局が加盟する巨大ネットワークに成長しました。その構想が生まれた背景や、ネットワークによって実現された流通改善、今後の展望などについて聞きました。

1
誰もやっていない業界のローコストオペレーションを変えていく

田尻氏のあだ名は「マグロ」だ。それは、目標に向かって常に動き続ける彼の性格を指したものだという。1970年代、医薬品卸売会社(以下、卸)に入社した田尻氏はその非効率な営業スタイルに疑問を持ちつつも、積極的に人と会い、業界事情や物流に関する勉強を始めた。それは流通改善のためのインフラ作りという将来のアイデアにつながっていく。

はじめは、卸で営業の仕事をされていたそうですね。

  • 田尻 氏:
  • 最初の2年くらいは、日本赤十字社の委託の血液配送業務をしていました。ちょうど血漿分画製剤が普及し始めた頃でした。 その後、営業部に配属されたのですが、基本的には楽な仕事でした。時代も違うので一概には言えませんが、本州と北海道では営業形態が違い、北海道では朝出社して、打ち合わせをしてから、それぞれの担当先を回るのですが、医師も薬剤師も仕事中に営業マンに会っている時間はないわけです。だから我々は1日の大半は喫茶店に行って週刊誌や新聞、漫画を読んで時間を潰し、先生の手がすく昼と夕方に何件か回って注文を取る、という感じでした。どこの世界でも営業の仕事は「無駄な時間に見えるけれど、本人は無駄とは思ってない」と言います。それがすごく多い業界だなと思いました。

当時から勉強熱心だった、と聞いています。

  • 田尻 氏:
  • 何をもって勉強とするか、ということを考えてきました。当時勤めていたのは武田薬品系の販売会社でしたが、武田薬品の人たちが物流に対してどういうことを考えているか、というところから勉強し始めました。会社に入って4、5年目の30歳くらいからですかね。

医薬品ネットワークの発想はその頃から?

  • 田尻 氏:
  • いえ、それはまだ先のことです。1980年代、昭和が終わる頃になるとコンピューターが使われるようになって、VAN(パケット通信ネットワーク)が出てきました。すると、雑貨品や食料品の業界がVANを使って受発注を始めました。そんな流れの中でも、私たちの営業は喫茶店に行って漫画読んで、注文を受けて、会社に電話かけて、配送するというスタイルでしょう?かなり考えさせられました。 90年代に入るとパソコンの時代です。衝撃だったのはWindows95ですね。パソコンから情報がどんどん出てくる。インターネットを通じてメーカーから直接、医薬品の情報が得られるなら、営業が伝達するものは価格しかありません。いずれ営業はいらなくなると思いました。 流通の勉強をしていくと、コトラーとかドラッカーなどいろいろな経営学者が「サプライチェーンを見直し、生産から消費までの間の物流を一貫してローコストで作らないと無駄が生じる」という話をしています。当時の数字をみると、アメリカやヨーロッパの物流経費が3%以内に収まっているのに、日本は8〜9%あって、それだけでも年間で4,000億〜5,000億円かかっていました。欧米と日本の医薬品の流通は全然違うということが、その時代に見えていたんです。

Windows95の登場で、ネットを使えば省略できるコストや労働が見えてきたのですね。

  • 田尻 氏:
  • それに1992(平成4)年には仕切価制度が導入され、メーカーの仕切価が変わりました。その結果、不透明なリベートアローワンスだけでなく、値引き交渉や薬価が変わった品物の在庫補償もなくなりました。卸による価格の差はほとんどなくなったわけです。 さらに、その頃はメーカーの物流政策というものが色濃く出始めていて、メーカーからいい条件を引き出せなかった会社は淘汰されました。「このまま行くと、どうなるんだろう?」「自分たちが変わらざるを得ないのではないか」と思いました。

業界再編の流れの中、「流通を変えなくては」という思いが起業につながったと。

  • 田尻 氏:
  • 当時いろいろ議論をする中で、業界の流通改善は1、2件の薬局や小規模な薬局グループというレベルでできる話ではないと思っていました。 では、その仕事を誰がするのか、業界のローコストオペレーションを誰が担うのかという話になりますが、業界の中でサプライチェーンの話をしても理解や賛同は得られませんでした。どの会社も興味を示しません。まだ誰もやっていないなら、自分でもやれるのではないかと思ったのが医薬品ネットワークを発想するきっかけです。だって、すでにみんながやっていることをやっても勝てないでしょ。ニッチな商売をしないと。

2
体育の授業がきっかけで、ラグビークラブを設立

1999(平成11)年、卸出身の田尻氏、調剤薬局出身の秋野治郎氏(現代表取締役副社長)、システム開発会社出身の沖中恭幸氏の3人で、(株)メディカルシステムネットワークを設立し、「医薬品ネットワーク」がスタートした。田尻氏が長年ラグビーをやっていたこともあり、創業当時のメンバーはラガーマンが多かったそうだ。

話がそれますが、田尻社長は社会人ラグビークラブ「北海道バーバリアンズ」(※)の設立者で、メディカルシステムネットワークも創業時はラグビー色の強い会社だったと聞いています。

  • 田尻 氏:
  • それ、みんなに「言うな」って言われるんですけどね(笑)。はい、最初はラグビーをしている人間だけを集めて会社にしたいと思っていました。 もともと私が就職した頃に何人かの仲間で集まって「ラグビーでもやるか」という話になりました。私は高校時代、男子ばかりのクラスで体育の先生がラグビーの先生だったんです。それで、私たちの体育の授業は「おう、ラグビーやるべ」と言って、全部ラグビーになっちゃうんですよ(笑)。その頃の印象がすごく強かったので、1975(昭和50)年にチームを作りました。 1987(昭和62)年には、ニュージーランドに行って第1回のラグビーワールドカップを観戦したのですが、そこでいろいろな違いを感じました。ニュージーランドの人たちは9時-5時で働いて、アフター5はスポーツや趣味に充てていました。クラブの中にはトップチームもあれば、ジュニアやお年寄りのチームもあって、多くの人がラグビーを生涯続けるんです。これはすごいことです。 彼らは、生活をとても大事にしています。大学を卒業すると海外に出て、いろんなことを見てきてから、学校に戻るなり仕事をするわけです。一度就職したらその会社に一生勤めるという、日本とはまるで違う常識です。それを受けて、会社を作るなら夕方の5時にぱっと仕事をやめて、みんながそれぞれ好きなスポーツをするような会社がいいと思いました。その感覚を共有できるラグビー仲間を集めました。 ですから私は今も、残業している社員には「早く帰れ」とずっと言い続けていますし、基本的にはそういう社風だと思います。薬局業務に携わる人は9時-5時では終われないし仕事が終わったら勉強するという方も多いので一概には言えませんが……。

ラグビーを長年プレーされているそうですが、最近は?

  • 田尻 氏:
  • 今は、うちの女子チームに夢中になっていまして。週末はクラブハウスでランチを作って彼女たちに食べてもらっています。この間は、豚コマと玉ねぎで他人丼を作りましたよ(笑)。 ※北海道バーバリアンズHP https://www.hokkaido-barbarians.com/

3
医薬品業界の皆さまがWin-Winになる仕組みをつくる

起業後にサービスを開始した医薬品ネットワーク。「薬局や卸、メーカーを含む医薬品業界全体が幸せになる仕組みを作りたい」という田尻氏の想いは、サービス開始当初なかなか受け入れてもらえなかったという。

医薬品ネットワークへの業界内の反応は?

  • 田尻 氏:
  • 「二次店(二次代理店)と同じだ、必要ない」とよく言われましたが、そうではありません。「私たちは物流の機能を持たないし、単品単価で透明性を持って流通の改善に取り組んでいきます」という説明をしても、当時はなかなか理解してもらえませんでした。

では、医薬品ネットワークの基盤を作るのに苦労されたのでは?

  • 田尻 氏:
  • メディカル山形薬品(株)の子会社が展開していた薬局を中間持株会社のもとに集約し、これが医薬品ネットワークを作る上でベースになりました。最初に議論をしたときから、「直営店がありながらそういうものを作って、業界の皆さんの共感を得られるのか?」という疑問を呈する人もいましたが、ビジネスモデルを作るにはうちの直営店を使うのが一番簡単でした。「こういうことをやりたいよね」「こうするとどうなんだろう?」ということが、そこで試せましたから。 例えば、薬局の皆さんが卸に電話をかけて「すぐに持ってきて」と配送を頼む回数を減らせば、卸の負担を軽減できます。では、どれくらいの在庫管理の仕組みを作れば、どれくらい急配の回数が減るか。あるいは、自動発注をかけるとどれくらい時間がかかるのか、自動発注に対する薬局の皆さんの不安をどのように解消するかをシミュレーションできます。在庫管理の仕組みを使ったうえでどうすれば返品を減らせるか、発注時点で問題があったのではないか、そういうことも分かります。ビジネスモデルを作るときに、直営店があるというのはすごく便利でした。
    その後、会社は順調に成長し、調剤薬局事業、賃貸・設備関連事業、給食事業、訪問看護事業、医薬品製造販売事業など、さまざまな事業を展開していく。医薬品ネットワーク事業においては、2018(平成30)年の流通改善ガイドライン施行以降、加盟店が急増。それまで年間200件程度のペースだったが、2018年以降は年間1,000件以上増加し、2020(令和2)年1月には5,000件を突破した。

急激に加盟店が伸びた背景は?

  • 田尻 氏:
  • 長くやっていればいつかブレイクスルーすると言われますが、2018年4月に流通改善ガイドラインが施行され、同年9月に、当社が全国で初めて単品単価で5万2,000JANの単価交渉を行い、単品ごとに値付けをしました。これが一番大きかったと思います。 先ほどお話した仕切価制度が導入された後も、業界内では価格がどういうふうに決まるのか、その理屈がきちんと説明されないままでした。残念ながら今もなお、不透明な部分があります。例えば100円の価値のものが5円値引きされたら95円ですよね。でも、薬価改定があるといつの間にか97円や98円、93円や92円になっている。「それはおかしいんじゃないの?」「本当にこれでいいの?」という思いが、薬局経営者の皆さんの中にずっとあったのではないでしょうか。だから我々が単品単価の交渉をすることで、皆さんの腹の中にストンと落ちたんだと思うんです。 私どもがやっているのは、単純に価格を安くすることではなく、納得のいく理屈をちゃんと付けること。長年の努力が調剤薬局の経営者の方々に理解していただけて、加盟店の数がどっと増えたのではないかなと思います。

ありがとうございました。
次回は、医薬品ネットワークについてさらに詳しく聞いていきます。

プロフィール

田尻 稲雄(たじり いなお)

1948年、北海道小樽市生まれ。74年一の山形薬業(株)入社、81年メディカル山形薬品(株)入社、89年に同社代表取締役就任、91年には親会社の(株)秋山愛生舘(現・(株)スズケン)の取締役に就任し、北海道内に多くの薬局を展開する。
99年(株)メディカルシステムネットワークを設立し、代表取締役社長に就任、現在に至る。16年(株)フェルゼンファーマ代表取締役社長就任、また、札幌を拠点に活動する社会人ラグビークラブ「北海道バーバリアンズ」の設立者の一人でもあり、現在は北海道ラグビーフットボール協会の会長も務める。

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